鎌倉時代(1185年〜1333年)から戦国時代(15世紀後半〜16世紀)は、日本の仏教史において大きな変革と広がりを見せた時代です。平安時代までの仏教が貴族中心のものであったのに対し、鎌倉時代には武士や庶民に向けた新しい宗派が次々と誕生しました。戦国時代には、さらに仏教が政治や社会と深く結びつき、ときには争いの火種となることもありました。本稿では、鎌倉時代と戦国時代の仏教の特徴や主な宗派、社会的影響について述べます。
目次
鎌倉時代の仏教の特徴
鎌倉時代は、源頼朝による武家政権(鎌倉幕府)の成立によって、武士が社会の中心に立つ時代となりました。これに伴い、人々の宗教観や救いを求める姿勢も変化し、より実践的でわかりやすい仏教が求められるようになりました。こうして「鎌倉新仏教」と呼ばれる多くの新宗派が生まれました。
鎌倉新仏教の特色
- 庶民や武士にも理解しやすい教え
- 個人の救いを重視すること
- 修行よりも信仰を重視すること
- 民衆の生活に密着した教え
主な鎌倉新仏教の宗派と開祖
浄土宗(法然)
- 開祖:法然(1133年〜1212年)
- 教え:「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで極楽往生できると説きました。
- 特徴:誰でも平等に救われるという教えは、武士や庶民に広く受け入れられました。
浄土真宗(親鸞)
- 開祖:親鸞(1173年〜1262年)
- 教え:阿弥陀仏の救いは人間の努力に関係なく、絶対他力によって得られるとしました。
- 特徴:念仏を唱えるだけで救われると説き、庶民から圧倒的に支持されました。後に一向宗(いっこうしゅう)とも呼ばれます。
時宗(一遍)
- 開祖:一遍(1239年〜1289年)
- 教え:踊りながら念仏を唱える「踊念仏」で布教しました。
- 特徴:民衆の間を巡り歩いて教えを広めた遊行(ゆぎょう)の宗派です。
日蓮宗(日蓮)
- 開祖:日蓮(1222年〜1282年)
- 教え:『法華経』を絶対視し、「南無妙法蓮華経」と唱えれば救われると説きました。
- 特徴:他宗を激しく批判し、国家的危機に仏法が重要であると主張しました。
禅宗(臨済宗・曹洞宗)
- 開祖:
- 臨済宗:栄西(1141年〜1215年)
- 曹洞宗:道元(1200年〜1253年)
- 教え:坐禅による修行を重視し、悟り(さとり)を目指しました。
- 特徴:武士に好まれた実践的で厳格な精神修養の宗派です。臨済宗は公案(禅問答)を用い、曹洞宗はただひたすら坐禅(只管打坐)を行いました。
戦国時代の仏教
社会的背景
戦国時代は、戦乱が続き社会が不安定となる中で、仏教の役割は多様化しました。一方で、寺院は経済力や軍事力を持つ勢力となり、時には武士や大名と争う存在にもなりました。
戦国時代の仏教の特色
- 寺院の軍事化(寺社勢力の武装)
- 一向一揆(浄土真宗門徒による武装蜂起)
- 仏教と戦国大名の結びつき
- 禅宗文化の広がり(茶道、庭園、建築への影響)
一向一揆と浄土真宗
特に浄土真宗(一向宗)は、戦国時代に強力な民衆勢力を形成しました。信長や戦国大名に対して一向一揆を起こし、地域の支配をめぐって争いました。加賀(現在の石川県)は「百姓の持ちたる国」と呼ばれるほど、一向宗門徒が支配する地域となりました。
禅宗文化の発展
戦国大名の中には禅宗を篤く信仰し、禅宗の精神を政治や軍事に取り入れた者も多くいました。特に織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らは禅宗文化を保護し、茶道・庭園・書画などの文化にも影響を与えました。
戦国仏教と政治
仏教は戦国大名にとって政治的な道具にもなりました。寺院を保護しつつ利用し、反対勢力となれば弾圧することもありました。織田信長は延暦寺焼き討ちや一向一揆・仏教勢力の排除などを行い、武力によって仏教勢力の抑圧を進めました。
結論
鎌倉時代から戦国時代にかけて、日本の仏教は大きな変化と広がりを遂げました。鎌倉新仏教は、武士や庶民に広く受け入れられる教えを生み出し、仏教は社会に深く根付いていきました。戦国時代には、仏教は信仰の対象であるだけでなく、政治・軍事・文化の重要な要素となりました。この時代の仏教は、民衆の救いと現世利益、精神修養と権力闘争という複雑な側面を併せ持つものとなったのです。
鎌倉・戦国時代に特に関わりの深い京都の寺院
- 建仁寺(けんにんじ)|臨済宗
- 創建:1202年(鎌倉初期)、栄西により創建
- 京都最古の禅寺。宋から伝えられた禅・茶・薬などの文化拠点
- 禅宗の都入りを象徴する存在
- 南禅寺(なんぜんじ)|臨済宗
- 創建:1291年、亀山上皇により創建
- 五山の中でも別格扱い。「公家文化×禅」の融合を体現
- 戦国期にも多くの塔頭寺院が繁栄
- 知恩院(ちおんいん)|浄土宗
- 起源:法然の草庵(鎌倉初期)、宗派成立の地
- 浄土宗総本山で、後の徳川家とも深い結びつき
- 念仏信仰の中心的寺院
- 本願寺(西本願寺・東本願寺)|浄土真宗
- 起源:1272年ごろ(親鸞廟堂)
- 戦国時代には一向一揆の拠点として武装勢力化
- 信長・秀吉・家康らと密接に関わり、東西に分裂(1602年)
- 大徳寺(だいとくじ)|臨済宗
- 鎌倉末~南北朝に創建。戦国期に大きく発展
- 織田信長の葬儀が行われ、千利休ら文化人とも縁深い
- 戦国武将の菩提寺・塔頭が多く並ぶ
- 妙心寺(みょうしんじ)|臨済宗
- 創建:1337年(建武4年)
- 戦国時代に全国に広がる妙心寺派の中核
- 室町~戦国期の禅僧育成の重要拠点
- 圓徳院(えんとくいん)|臨済宗大徳寺派(塔頭)
- 創建:戦国末期、豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)の隠棲先
- 桃山文化の精髄を伝える庭園と建築